STFの本格的なキックボクシングレッスンでダイエット・ボディメイク。

海外でプロ選手になるには… パート1

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海外でプロ選手になるには… パート1

今回は、どうやって私がアメリカでプロ格闘技選手になれたか、について書いてみたいと思います。
もし異国の地で手がかりもなく格闘家になりたい!という方が居ましたら必読です!(あまり居ないと思いますが…)

知っている方もいると思いますが、私のもう一つの顔は現代美術家です。
美大入学と同時に格闘技を始めて、“美術と格闘“の生活もかれこれ30年になろうとしています。

そのきっかけとなった話はまた何処かのタイミングでするとして、私が現代美術家兼プロキックボクサーとしての活動を丁度し始めた頃、今後“美術と格闘“をやっていく上で最高の国、都市、地域などユートピアの様な場所は、果たして何処だろう。。。と、あれこれ考えていました。

その時、最も浮上したのがアメリカ合衆国で、その中でも最適地と思われたのが、カリフォルニア州ロサンゼルスでした。(美術といえばニューヨークですが、当時のニューヨーク州は未だMMAやムエタイ興行を認可されてなかったので格闘には不向き)

一度きりの人生だし、後悔だけは絶対にしたく無い!と思っていたので、日本を発って、最高の環境であるだろうロサンゼルスへの移住計画を立て始めていました。とはいえ英語は学生時代に授業でやってきた程度だし、どうしよう⁉︎かなと、もちろん思っていました。

とりあえず観光ビザで3ヵ月行ってみて、語学学校でも探しながら活動の手がかりでも作ろうかなぁ、、、と思い渡米をしました。
それが33歳の冬のことでした。

私は美大を卒業してから、そのまま大学研究室に残り、就職(今でいう助教)をしていた為それなりの貯金はしていたので、仕事を辞めてもしばらくは生きていけるだろう。なんてたかを括っていました。

しかし、いざロサンゼルスで生活をしてみると、いくら倹約をしてても貯金が目に見えて減っていき、何か金策を練らなければ1年くらいで終わってしまう計算になりました。

また、3ヵ月間ほぼ毎日、地下鉄、バス、自転車で町中駆けずり回っても活動の手がかりなんて殆ど掴めなかったし、何よりも先ずアメリカ人が、私の下手くそな英語を聞いてくれようとしない!ことに参りました。(かろうじて語学学校の入学手続きはしましたが)

そして一旦日本に帰国してから、再度入念な対策を立てて出直しました。(実際に一度行ってコテンパンにされて良かった)34歳の夏でした。。。




20代が中心の語学学校で、この年齢で学生をやることにも少し躊躇いがありましたが、“やりたいことをやれる様にする“為には、様々な修行が必要不可欠だと感じた熱い夏でした。(とにかくカリフォルニアの空は高く、陽射しが強かった)

次回は、ここでどうやって格闘技を始めるまでに至ったのか、を書いてみたいと思います。


STFチーフトレーナー/飯島浩二

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