STFの本格的なキックボクシングレッスンでダイエット・ボディメイク。

海外でプロ選手になるには… パート3

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海外でプロ選手になるには… パート3




アメリカで夕方から自分の為のムエタイトレーニングをし、夜はクラスの指導補助として、ムエタイを教え始めました。

教えると言っても英語力に難があったため、最初の頃はメイントレーナーであるランディ(タイ・チャイナ系アメリカン)と共にミットを持ちつつ、私はジェスチャーを交えて指導をしていました。

このランディという男が、のちに私のアメリカにおけるベストフレンドにして最高のマネージャー兼トレーナーとなる人物なのです。

この頃は未だお互い週3でジムで会うだけの関係性でしたが、前回登場したJの数々の失敗(失態)のおかげでと日に日にランディーとは仲良くなっていきました。

このJは決して悪い人間ではないのですが、ジム経営という観点から見ると全くダメダメで、良くも悪くも“昭和のオヤジさん“という感じの性格でした。

そのため、大家さんとケンカをしてしまったり、運営資金を集められなかったりで、結果借りていたスペースを追い出される羽目になるのでした。

始めは私とランディー、そして会員さんたちが一緒について行きましたが、それが2回3回、、、となると人は減り、挙げ句の果てには私とランディーだけになってしまいました。

その引っ越しの度に私の乗っていたトヨタピックアップトラックが使われ、新しいスペースでは新たな内装を毎回手伝わされました。

そんな日々に嫌気がさしていた私とランディーは、Jの新たな結婚を機に彼とは決別をしました。

そして、英語力は低いがプロとして実戦経験のある私(本業は現代美術家)と、選手経験はないけど頭脳明晰なランディー(カリフォルニア州立大卒で本業はファイナンシャルプランナー)とで新しいチーム“KRムエタイ“を作りました。

(頭文字のKとRは、KOJI & RANDYの略)この実績未だ無しの凸凹コンビが先ず行ったことは、格闘界への売名行為でした。(前述、THE KOJI ARTの精神)

とにかく地下格闘でもジムレベルの交流戦でも、有れば二人で乗り込んで、試合をやって勝つ!ということを繰り返しました。

しかしながらこの時は、未だジムを借りても生徒を集めるだけの実力も資本力もなかったので、練習場所はいつも公園の芝生か、ランディーがルームシェアをしていた家のリビングでした。(しばらくして、ルームメイトの白人女性がブチ切れて使え無くなりました)

こんな状態でも夢と希望を持ってハングリーな生活をしていると、、、待ちに待ったチャンスがようやく到来するのでした。つづく



STFチーフトレーナー/飯島浩二

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