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アメリカに来てようやくスタート地点に立てたかなぁ、と言った感じでした。
前回でも少し触れましたが、アメリカでは当然のことながら皆さん忙しく仕事をしている訳ですから、自分たちに利益をもたらす気配が無い限り、妙なアジア人の下手な英語なんて聞いてくれようとしません。
毎日、語学学校で勉強しながらも、もっと何か良い手立てはないか模索する毎日でした。さすがに20歳そこそこの同級生たちとはあまり馴染めませんでしたが、34歳の脳みそは若者に比べると吸収率がとにかく低かったです。。。(言い訳ですね)
そんな中、私が他よりも優れていること、人が興味を持ってくれる様なことは何か、と自問自答すれば、やはり“美術と格闘“しか無いということにたどり着きました。
とりあえずここを活かしていくことが最善策だと信じて、行動してみました。
先ずは、“THE KOJI ART“というブランドを勝手に立ち上げて、不特定多数に宣伝をしていくというアート活動を始めました。
アメリカでは誰も自分のことを知らないので、“売名行為をアート化する“ということをコンセプトに、ストリートアートを開始しました。
次にしたことは、ムエタイやキックボクシングのジムをしらみつぶしに見学をしていくことでした。
トレーニングを一通り観終えた後に、自分が日本でプロだったことや日本とのコネクションについて話すと、私の片言の英語でも熱心に聞いてくれました。
自分が単に知りたいことを聞くよりも自分自身が興味の対象となったり、何かしら利益をもたらすかも知れない、と思われることが大切で、相手が興味を持ってさえくれれば、下手な英語でも聞いてくれるということが良く分かりました。
こうした生きた英語学習をすることに喜びを感じ始めていた時、あるジムのオーナーに「会費はいらないからムエタイクラスの指導補助をしてくれないか」と言われ、即決をしました。
アメリカにおいて、私の中の格闘サイドがやっと動き始めた瞬間でした。内心少しビビりながらもジムの門を叩いてきて良かったぁ、、、と実感しました。
そのジムのオーナーは、湾岸戦争に出兵経験のある退役軍人で、白人アメリカンですが、ハプキドー(韓国の武道)の世界大会銅メダリストにして、初期UFCにも参戦したことのあるJという人物でした。
この人は、風貌が元UFC王者のチャック・リデルにとにかく似ていて、最初本当にチャック・リデルかと思ったくらいそっくりでした。彼にその旨を伝えると、満更でもない笑みで「よく間違えられるけど、俺の方が女にはモテるけどな…」と典型的なアメリカンジョークを発する武道家でした。
後々分かったことなのですが、彼はよく問題をつくってくる人で、そのおかげで私たち皆んなが振り回され、ジムを転々としなくてはいけなくなる羽目に。。。
その当時アメリカで流行り始めていたムエタイをクラスでやりたいのだけれど、教える人がいない!という理由で、私が丁度適任者(アジア人だし)だった訳でした。
次回は、選手兼インストラクターとしての生活が始まるまでについて書きたいと思います。
STFチーフトレーナー/飯島浩二
海外でプロ選手になるには… パート2
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