STFの本格的なキックボクシングレッスンでダイエット・ボディメイク。

海外でプロ選手になるには… パート8

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海外でプロ選手になるには… パート8




今までに味わったことが無い感じの何ともやるせない敗北感

どんな状況であろうと自分でやると決めた以上、負けは負けなので、言い訳は出来ません。

その日メインイベントで出場した大和哲也選手は、タイ人チャンピオン相手に強烈なボディフックを入れ、しっかりとKO勝ち

この試合後、K-1に参戦するとトーナメント優勝。
また、WBCワールドチャンピオン等々その後の飛躍が著しく、超有名選手へと成長していきました。


一方私はというと、30代も後半に差し掛かっていたので、瞬発力を要するムエタイはそろそろ辞めようかと思っていました。

アメリカに渡り、メキシコ人やフィリピン人トレーナーからボクシング技術を学んだことで、パンチの精度が向上していきました。それが故、自分が得意としている肘打ちとローキックへと上手く繋げられる様になり、新たな打撃スタイルを確立することが出来ました。これまで様々な大会に出場してきましたが、数年に一度のビッグマッチに負けた以上、次のチャンスは暫く無いので、ここらが潮時かと思いました。(21歳で初めて防具空手の試合に出場してから約15年間、様々な立ち技系格闘技の試合に参戦)

そして私は、この日を境にプロMMA(総合格闘技)に挑戦することにしました。

アメリカに来てから始めたブラジリアン柔術やグラップリングを得意の立ち技に取り込み、打撃系MMAファイターとして戦うことにしました。と言うのもアメリカでは、UFCの人気が一般的にも経済的にも急成長を遂げていて、マイナースポーツ(格闘技)であるムエタイとは違い、MMA競技人口が爆発的に増えていたからです。

以前より格闘関係者から勧められていたこともあって、先ずはノンサンクションマッチ(カリフォルニア州認定外非公式試合)や大手ジムが主催する交流戦などから始めることにしました。

当時はUFC以外にも大きなMMA団体が複数あり、名だたるムエタイファイターたちが、それらMMA興行にムエタイ選手として参戦していましたが、レスリングベース(アメリカンスタイル)の選手たちに、高速タックルからグランドで漬けられて(打撃を封じ込まれて)、判定負けするというケースが続出していました。

私もその展開だけは避けたいと思っていたので、レスラー対策を入念にしていました。(当時の私のお手本は、ミルコクロコップ)徹底的にタックルを切って打撃で勝負、寝ても立って、打撃で削ることこそ、私の理想とするスタイルでした。



STFチーフトレーナー/飯島浩二

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